今日この日に、9年前のあの日を振り返ってみたいと思います。
人は忘れる生き物だから。
どれだけあの日を思い出せるかも不安だけれど。
9年前のあの日。
私は高円寺で働いていた。
前の職場になる。
退職を告げ、数日後には有休消化に切り替わるところだった。
15時前。
突然グラグラと揺れるのを感じた。
書類がキャビネットから出てきたり。
壁掛け時計が落ちてきたりした。
揺れが落ち着いて、外に出てみる。
向かいのマンションの避雷針がまだ反動で揺れていた。
高円寺という古くからの街だから
古い建物も多い。
そういった建物のタイルがバリバリ剥がれていたり。
地主さんのお宅の石造りの門柱が崩れていたり。
いたるところで地震による爪痕が残った。
携帯から、山形の実家に電話を掛けても繋がらない。
店長の了解を得て
近くのタバコ屋の公衆電話に駆け込んでみるも・・・
公衆電話でも繋がらない。
会社に戻ってみると
店長が近くのコンビニからいろいろと
食料を買ってきたところだった。
帰宅する頃には、何もないといけないから・・・と
食料を買い込んできてくれていた。
そして、自宅に懐中電灯はあるか?と店長に問われ
ないなら、すぐ近くのホームセンターで念のため買うべきだと言われ
すぐさま買いに走った。
そして、なんとかゲットできたのだ。
しばらく時間もたったので、またタバコ屋の公衆電話から実家に連絡。
やっと繋がったと思ったら、弟が電話に出た。
彼こそ、本当にラッキーだったと思う。
大学4年で、前の週に福島の下宿を引き払って戻ってきていたからだ。
地震の影響で、内定破棄になる同級生もたくさんいたようだが
彼の内定先は、そこそこ規模もあり
GW明けまでの自宅待機で事なきを得た。
あの日。
私もラッキーな方だったのだと思う。
あの日、何時間も遠い道のりを歩いて帰った人もいるだろう。
私は、社用車に相乗りして、複数人の社員と一緒に帰ることができた。
とはいえ、通常の2~3倍の時間はかかったけれど。
帰る道すがら、自宅の状況も心配だった。
車窓から見えるコンビニに、食料は見当たらない。
店長が買ってきてくれた食料を
皆で分けて持たせてくれた。
あれがなければ、その日は食事ができなかったと思う。
店長のとっさの判断に、本当に助けられた。
ようやく自宅に帰ったら
ビックリしたのを覚えている
部屋が散々であろうと思って帰ったら
地震なんかなかったように
いつもの部屋だったから
高円寺で感じたグラグラとした揺れが
なかったかのように
まぁ、一安心だったのだけれど。
とはいえ、電気も付かないから
不安な夜だった気がする。
翌日は電車で出勤
一般の方は、11日が金曜だったから
お休みの人も多かったと思うけど
私はその時
土日は仕事な不動産賃貸業に従事
とてつもなく遅れていたし
本数も少なかったので
通勤にも大いに影響した
通勤すると・・・
地震の影響で
窓が割れたなど
さまざまな物件の入居者からの対応に追われた
高円寺の街は
あちらこちらでキープアウトのような形で
ビニールテープが張られていた
3月14日。
時間を見計らって
今の会社へ電話を掛けた。
地震の影響で来なくていいと言われたらどうしよう??
と内心不安で仕方なかった。
あれから9年。
受け入れてくれた会社に勤務している。
9年。
なんと長い年月だろう。
その間、現状に甘んじて
何も買えようとしなかったんだな
とも、反省する
3.11の記憶はあっても
もう曖昧になっている事がたくさんある
たとえば、どれくらいの間
計画停電があったかなど
もう記憶の彼方だ
今回、このように書いてみて
記憶がどんどん薄れていることに気付いた
人間は忘れる生き物
私の3.11の学びは
現状分析ができて
とっさに機転が利かせられること
それが如何に状況を変えられるか
あの時、店長が教えてくれたこと
それは、今も私の中に生きている
今ある幸せがいつもあるという訳ではない事
今の日常がある幸せに
感謝の心を忘れずにありたいものです。
9年前の3月11日
2020
5/07
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