プロフィール / profile

このページでは、略歴ではなく三好真梨子について徹底的にお話をしてみようと思います。
とりあえず三好真梨子のことをサラッと知りたい方は、略歴をご覧ください。
お付き合いいただける方は、読み進めていただければ幸いです。

生誕

三好真梨子は山形県天童市で育ちました。
生まれは、山形県東根市です。
待望の第一子でした。
両親ともに、歌手の高橋真梨子さんの大ファンで、名前を頂いたそうです。

幼少期

3歳直前、父が休日出勤しているところへ差し入れを持って行った際に、誤って階段から転落。
どころか、転げ落ちたらしい・・・
私にはそんな記憶はありません。
ですが、なんともなく(身体は丈夫にできていたみたいです)
3歳の誕生日を迎え、両親はじめ祖父母もほっとしたらしいです。

幼稚園

参観日に赤と黄色の折り紙でチューリップを作る時、黄色の折り紙を裏返して白い方で負ったそう。
両親は、階段事故で頭を打ったせいか?
はたまた、大丈夫か?この子は・・・と思ったそう。

母が今でいうキャラ弁を作ってくれて、お弁当が大好きでした。
年長組の時の3/3に力作のお雛様弁当。
今でも忘れません。
先生が感激して、いろんな組の先生に見せに行くくらいの力作でした。
今のように携帯もなく、超大作を写真に残していないのが私も母も残念に思っています。

4歳の時に弟が生まれました。
数か月祖父母の元に預けられたらしいけれど、あまり記憶にありません。

この頃に、実家の隣の座敷犬に噛まれてしまい、以来犬が苦手。
今では自分から近づく分には問題ないけれど、特に大型犬が近づいてくるとビビります。

小学生

この頃から、それなりに器用になんでもこなしていた模様。
中学年くらいまではそれでよかったけれど、高学年になったら疎まれたのを実感。
軽いいじめを体験。
群れの頂点で威張っている人の存在を感じつつ、負けるもんかと思っていました。
この頃から、群れてつるまないと何もやれない方がダサイと思って、一匹狼でなんでも自分でやろうとするようになったと思います。

宿題で、自分の名前の由来を調べましょうというのがありました。
両親ともに高橋真梨子さんのファンだったからという理由が少し寂しく感じました。
みんなの答えが、さわやかな朝に生まれたから、さやかだったり、明るく元気な子に育ってほしいから、明子だったりしたので。
のちのち、V6の森田剛さんのお母様が郷ひろみさんのファンで、剛と付けた話を聞くまでは、ちょっとモヤモヤしていました。

中学生

4つの小学校から集まる学区域の中学校に進学。
ここで出会った先生と親友にとても救われたと、今では思っています。
とってもおおらかな担任の先生でした。
3年間ずっと同じ英語の先生が担任でした。
この頃は、英語学習がとても好きでした。

毎回授業の初めに、ウォーミングアップのように英語の歌を歌っていました。
中1の頃は、マザーグース等が多かったのですが、中2、中3とレベルが上がっていき、当時流行っていた歌などもたくさん教えていただきました。
その頃、同級生はSMAPやKinki Kids、V6に夢中でしたが、私はBackstreet BoysやBritney Spears、Westlifeなどに夢中でした。

もともと運動は得意で、毎年開催のマラソン大会では2年時に1位になりました。
他の学年の時にも、6位入賞し、毎年駅伝の選手に選抜されていました。
負けず嫌いなところがあり、前に誰かがいると抜きたくなって、結果良い成績になっていました。

部活でソフトテニス部に入部

そこで、面倒な女の世界を体験しました。
1年先輩の従妹が同級生におり、実力も、勝ちたいという気持ちすらない上に、まとめる力もない人が七光りで部長になったのです。
とっても苦痛な日々が続きました。
これは、顧問の先生に直談判することで解決に導きました。

親友とは、2年次のクラス替えで出会いました。
親友は、友達でありライバルだったのです。
彼女に出会っていなければ、高校受験の志望校や結果が違ったものになっていたかもしれません。

高校生

中学の時、ちょっと背伸びをした高校の説明会に行きました。
中学の恩師には、女子高は合わないだろうから共学を選ぶべきと言われていたし、自分でもそう思っていたのですが・・・
親友が行くであろう女子高に、親友と共に行きたかったのです。
学校説明の後、いくつかの部活紹介がありました。
そこで、弓道に出会います。

ちょっと背伸びしていた、高校受験に合格した!
ということで、燃え尽き症候群に陥っていました。
本来は、マスターマインド効果でよい循環が生まれるはずなのに・・・
なかなか勉強についていけず、その分部活に没頭します。
受験英語ばかりで、中学の頃の英語を学ぶ楽しさも忘れてしまいました。

大学生

第一、第二・・・と滑ってしまい、滑り止めの大学へ入学。
それに伴って、一人暮らしを始めます。
必修の英語の授業で出会ったオーストラリア人の先生のおかげで、中学の頃のような英語学習の楽しさを見出します。
とっても生徒思いというか、面倒見がいい先生で授業以外でも交流がありました。
彼のおかげで、2回ボランティアを経験しました。
その1つが、伝現というチャリティーイベントです。

人生を変えた伝現への参加

伝現の前の年にも、Common Threadsというイベントにも参加したのですが・・・
どちらもDeNAが主催のチャリティーイベントでした。
Common Threadsは、家庭で眠っている着物や帯を素材としてリメイクしました。
伝現では、家庭で眠っている鯉のぼりを服や小物にリメイクしてしました。
どちらもリメイク後にただ販売するのではなく、ファッションショーとして発表。
その後DeNAのオークションシステム、biddersでオークションに掛けられ、利益が寄付されました。

フィッターという仕事との出会い

伝現のイベントで、たまたま私はフィッターというポジションを与えられました。
そして、たまたま日程があったので、イベント前のモデルさんのフィッティングのお手伝いもすることになったのです。
スタイリストさんやモデルさんは、当時一流の雑誌等でご活躍されている方々でした。
右も左もわからないまま、スタイリストさんのアシスタントさんに言われるままフィッティングを手伝いました。
このとき、吸収して、それなりのクオリティで即実行できる私の強みがもろに発揮できていたのだと思います。

そのおかげで、チャリティイベントの後にも声を掛けて頂く機会がたくさんありました。
当時より、東京コレクションや有名ブランドのファッションショーのバックステージでの仕事に携わることができました。
そして、それは今でも私の仕事(副業・複業)となっています。
また、その時声を掛けてくれたスタイリストさんにも、ずっとお世話になり、いまだに交流があります。

アルバイト

学生時代は様々なアルバイトをしました。
一番長くお世話になったのは、個人経営の居酒屋さんです。
賄い目当てで入ったようなものですが、経営者もお客様も温かく、卒業間際までお世話になりました。
そこのトイレに貼ってあった、経営者のご友人の書が今でも忘れません。
『会うべき人には 必ず会える それは 早すぎず 遅すぎないときに』
思い返してみると、ターニングポイントと思うときには、大事な出会いがあったと思います。

居酒屋の他にも、書店やパン屋でもアルバイトをしました。
パン屋では、カフェも併設してケーキなども販売していました。
この時美しいケーキの切り方を覚えました。
このおかげで、現在会社で誰かの誕生日の時には、毎回私がケーキカット係です。

書店でも、パン屋でもメインはレジ打ちでした。
エコで、手提げ袋を持参する人。
むしろ、過剰包装を求める人。
お金の出し方。
などなど。
世の中にはホントにいろんな人がいるんだなぁと、改めて実感しました。

就職活動

大学3年の夏休み直前。
講堂に集められ、秋から始まる就職活動についての講義みたいなのがありました。
何がしたいのか、夏休み中に考えるように・・・
的な内容だったと思います。
何がしたいかなんて、夏休み中(正直そんなに考えてないけど)考えたって、答えは出ませんでした。
就職氷河期が終わる直前でしたし、就職浪人するわけにもいかず、いくつか内定をもらった中で就職先を決めました。
この頃から、『怖れ』で動いていたんだなぁと、気づき反省中です。

就職後・・・

新卒入社の会社

新卒で入社したのは、建売業者です。
ちょっと格好良く言えば建設業でしょうか。
土地付き一戸建てを販売している会社です。
最終面接で内定を取りたいがために、総合職でいいと言ってしまったことを今でも後悔しています。
事務職の募集出ていなかったのに、あったんじゃん・・・と。

ここでは、無意味な金曜日の会議がありました。
設計サイドは土日休みですが、総合職の私は水曜+調整での休みでした。
毎週金曜19:00(定時18:30。この時点でアウト!)より、各建築現場の報告を兼ねた会議が全員参加であるのです。
お客様が完成した住宅を見にいらっしゃるのは、週末がほとんど。
にもかかわらず、金曜の定時を過ぎた後から会議があり、現場の報告をしていました。

入社当初から、金曜の夜に会議をする意味が全く見いだせませんでした。
金曜の夜に会議で良くない報告があったとして、土日に訪れるお客様のために改善できるわけがないのです。
どうせやるなら、定時を過ぎていることはさておいて、木曜の夜に会議をして、週末にいらっしゃるお客様のために金曜中にそれを改善すべきなのです。
この意味のない報告会のための時間に残業代が出たことはありませんし、終電を逃して同じ方向の先輩にタクシーで送ってもらうこともありました。
今では東証一部に上場しているのが不思議なくらいの会社です。
石の上にも三年と思って、しがみつこうと思っていました。

初めての転職

無意味な金曜日の会議のほか、いろいろと悩むところがあり転職を考えていました。
その時に拾ってくれたのが、その会社から独立した先輩でした。
その当時は、ヘッドハンティングというほどではないにしろ、この現状から脱却できることに喜びを見出し、転職をしました。
地方出身者とは楽なもので、「実家に帰る」とか何とかいえば、やめる理由になるのです。

甘い言葉にはご用心

お茶酌みやファーストコンタクトという言葉を信じ転職しました。
が、実際は不動産賃貸の営業を強いられます。
目標まで課され、目標に達していなければ、それでも休むのか?と罵られました。
自分以外男性ばかりの職場。

女ばかりの面倒なところは除かれたとはいえ・・・
物件案内して帰ってきた時などに使い終わった湯のみが流しに山積みの時にはキレそうになりました。
引き抜きの時に言われた通り事務職なら文句も言いません。
ですが、いつのまにか勝手に営業にしておいて営業から帰ってきたら「女なんだからやっとけよ」みたいな。
今思い出しても本当に最悪です。

更に狂う2つめの会社

いろいろと苦労はしていましたが、会社の業績はよく、社員旅行は毎年海外でした。
1年目は韓国。
2年目はグアム。
旅行のたびに、社長から私の友達ってことにしてほしいという女性がいました。
社長の愛人です。
1年目は社員+社長の愛人と、まだこじんまりとしていましたが、2年目のグアムでは社長の愛人どころか部長の愛人とかも増えました。
店長の奥さんが神々しく見えたほどです。

売り上げのために愛人にマンションを買わせる社長。
仕事が忙しいという理由で、愛人に買わせたマンションに入り浸る社長。
それを疑う奥さんからの閉店後の無言電話。
奥さんに疑われないためのダミーの部屋の賃貸。
ドロドロの昼ドラの世界が目の前に広がっていました。

もう無理!と思って、転職しました。
ちなみに、ボーナス代わりにプールしていた歩合は回収できませんでした。
後から聞くと、社長がお金を使い込んで当時かなり金銭面でやばかったらしいです。

3つ目の会社(現職)

現職は、転職活動をしている中でハローワークで見つけました。
他の転職サイトは、なかなか面接にこぎつけられなかった印象です。
業界よりも、自分ができること、それを成長させてくれることを目指して選んでいました。
それで縁があったのが今の会社です。
正直、同時進行していたもう1つの会社にしていたら人生変わっていただろうと思います。
最終的に選んだ理由は、今後世界が変わっても女性が世の中からいなくならない限り、化粧品業界は廃れることがないだろうと思ったからです。

アンチエイジングをキーワードに、様々な商材を扱っている今の会社は、今の時代に合っているとは思います。
でも、正直限界なんじゃないかな?と思うのが今日この頃です。
主力商品も、10年前は輝いていたかもしれないけれど、日本製の安価なものが出てきては、輸入品は太刀打ちできません。
日本製は安心・安全という神話には勝てません。
社長がほれ込んだ気持ちはわかりますが・・・
「これがイイ!」という情熱だけでは伝わりません。
何がどういいのか、他との差別化を語れなければ埋もれるだけです。
すべての行動が、社長に怒られないために『怖れ』で動いているのです。

コスメコンシェルジュ資格取得

美世業界に重視しているけれど、専門学校などでメイクを勉強したわけではありません。
実務を通して、学んできました。
そこで、自分の実力を試すため、またさらに知識を付けるためにと、日本化粧品検定協会の1級試験を受けました。
一発で合格し、コスメコンシェルジュ資格も申請しています。

資格の勉強をする中で、化粧品原料や乳化についてなど。
また、皮膚構造などについても学びました。
それは現在の仕事をするうえでも役立っています。

スーパーフードマイスターの取得

美容業界に携わっているとはいえ、扱っているのが化粧品なので、アウターケアばかりでした。
外からいくら塗ったりしても、そもそもインナーケアができていなければ、肌本来がボロボロだったり、調子が悪くなってしまいます。
そこで、インナーケアにも興味を持ちました。

たまたまスーパーフードブームも手伝って、日本スーパーフード協会において、スーパーフードマイスターを取得しました。
サプリメントと食品の間のような、栄養価の高いスーパーフード。
パウダータイプが多く、普段のお料理などにちょっとひと手間加えるだけのスーパーフード。
生活に取り入れやすそうだなと思い、魅力にはまりました。

現在、ぬるま湯ブラックからの脱出を計画中

扱っているブランドが好きだから…
約8年頑張ってきました。
その間の理不尽なことに目をつぶってこれました。
でも、もう限界です。
理不尽なやり方にも、女ばかりの面倒なコミュニティーにも。

ぬるま湯ブラックからの脱出を試みるために、ブログをはじめました。
これまでもアメブロでブログをしていましたが、ブログではなく日記だったのだと最近気づかされました。
今は、8年務めたぬるま湯を脱出すべく、日記をブログ化するつもりです。
今は少しでも収入になればと、ブログを運営し始めました。
ぬるま湯どころか完全なるブラックを脱出するためにブログに力を注いでいます。
今は微々たるものですが、広告収入を得られはじめ、PV数や広告収入が増えることを目指しています。

史上最高のあなたを開花させるオンラインセミナーに参加中です。
それによって、自分の人生を自分でクリエイトしていける私になれると確信しています。
そのことを後々このブログで報告できるように、今は課題に全力で取り組んでいます。

スポンサー様やお仕事、随時募集中です。

所有資格などは、こちらの略歴をご覧ください。